フラでは、音楽に合わせて足のステップ、手の動き、目線、フォーメーションなどさまざまな動作を同時進行しています。そのため、記憶力や集中力が必要であり、脳が複合的に刺激され活性化すると考えられています。さらに、フラはグループで踊ることが多く、周りの人とタイミングを合わせる必要があるため、コミュニケーションをよくすることも重要です。
近年の研究では、「運動+コミュニケーション」が認知症予防に最適であることが分かってきています。
<振付を記憶する「海馬」>
人間の脳の中、記憶に最も大きくかかわる部分は「海馬」と「大脳皮質」です。海馬は、タツノオトシゴ(英語でseahorse:sea「海」horse「馬」)のような形をしていることから名付けられました。主に短期記憶を司り、新たな記憶を作るのが海馬で、長期記憶を司るのが大脳皮質です。海馬の記憶保持は数分や数時間と一時的で、すぐに忘れることが特徴です。例えば、たった今聞いた電話番号や、メモを取らずに頭に入れた買い物リストなど、用が済めば忘れてしまうような記憶です。一方、半年経っても、一年経ってもずっと覚えているのが長期記憶です。
短期記憶を司る海馬は、振り付けなどを覚えるうえで重要な部分ですが、加齢に伴って委縮していくため、徐々に覚えが悪くなっていきます。
ダンスと筋力トレーニングを一定期間継続し、脳のMRI検査を行った研究では、両者ともに海馬の体積増加がみられましたが、ダンスを行った集団にだけ、海場周辺の組織である「海馬台(かいばだい)」と「歯状回(しじょうかい)」にも体積の増加が起こっていることが分かりました。海馬台とは、主にワーキングメモリー(作業記憶)にもかかわる組織です。ワーキングメモリーとは、短い時間で情報を保持し、同時に処理する能力のことをいいます。会話や読み書き、計算などの基礎となり、日常生活や学習に欠かせない重要な能力です。また、歯状回は、記憶を思い出す働きをする組織です。
ダンスでは、ステップ、手の動き、フォーメーションなどが曲に合わせて変わるため、常に新しいものを学んでいかなくてはいけません。同じ動きを反復する運動に比べ、ダンスは脳への刺激が多く、海場や海場周辺の組織により影響を与えると考えられています。
<複雑な情報処理を担う「脳弓(のうきゅう)」
加齢に伴い、脳の情報処理能力は低下していきます。さらに、年齢を重ねるにつれてその影響は加速していきます。情報処理を司る「脳弓」は、名前の通り弓のような形をしており、海馬の内側を沿うように存在しています。
ダンスと筋肉トレーニングを比較した研究において、ダンスを行った集団にのみ、この脳弓の密度が高まっていることが分かっています。新しいステップを学び、習得することを求めるという認知的要求が、脳弓の組織に影響を与えたと考えられます。脳弓は、海馬と同様に記憶に関する重要な役割を担っており、認知症との関連もあると考えられています。
<言語や音声の処理・理解を高める「ブローカ野」>
近年の研究により、ステップを踏み続けることで、脳の前頭葉にある運動言語中枢「ブローカ野」が活性することが判明しました。ブローカ野とは、言語や音声の処理・理解、または手話を使った表現にかかわる領域です。曲の歌詞を理解し、体で表現するフラにおいても欠かせない領域です。フラなどのダンスを通じ、ブローカ野が活性化されることで、頭の回転が速くなるだけではなく、自己制御やコミュニケーションも高まるといわれています。
また、ダンスをすると脳の前頭葉の一部が活発になり、体がどんな姿勢をとっているのかなど、空間把握能力も高まることが分かっています。
ダンスと筋肉トレーニングとの比較では、どちらも同程度の体力増加がみられましたが、脳に対する影響には顕著な違いがみられ、ダンスを行ったグループのみ、脳の多くの領域(海馬周辺の組織・脳弓・ブローカ野など)で体積や密度の増加、及び活性化をもたらしました。このように、ダンスは脳の可塑性(出来事に対して変化していくこと)を誘導するという点で、反復的な運動よりもすぐれています。ダンスの1つであるフラにもこおうした同様の効果が期待できるでしょう。脳の可塑性は寿命を通じて維持されることが知られているため、常に刺激を与え続けることが重要です。
こうした研究結果から、脳の老化への有望な対策の1つとして、世界中でダンスが注目されているほか、日本でも国立長寿医療センターにおいて、ダンスが認知症にどのように影響するかについて研究が進められています。
また、各地域において高齢者向けのサークルやデイケアなどでのフラなどのダンスの導入が進んでいます。
資料/日本成人病予防協会